おおづち島 スペシャル・ビュー
 写真  : 多くの方にご協力いただきました。(写真下にクレジット表記)              
  文   : 『岡山・吉備の国「内田百阨カ学賞」受賞作・榊原隆介「おおづちメモリアル」による』(岡山県文化振興課)
  岡山県観光連盟
 
「こんなきれいな海で泳げるなんてええな。あのおむすびに似ているさんかくの島もええ形やし」
 泰一は、ほとほと感じいったという顔つきで言った。
きれいな海、さんかくの島……。
 晋作は自分の持ち物を褒められたようで気分が良く
なった。先ほどの警戒心はたちどころにやわらいでき
た。
「あの島は大槌島という名前でどこからでも三角に見
えるんじゃ。島のまわりには二十メートルぐらいの大
蛇がおるけぇ、島に近づいたら食われてしまうんじゃ」
 晋作は、父親から教わった知識をそのまま披露した。
 
 エンジンの音が息を吹き返したように大きくなった。小刻みな振動が体に伝わってくる。船はゆっくりと進み出した。すぐにエンジン音が一段と高まり、海を激しく掻き砕く音が聞こえた。船は力強く加速を始めた。
 泰一は、立ち上がって仁王立ちのポーズをとった。湿り気をおびた泰一の髪に潮風がそよいでいる。
「晋作! また、いつか行こな」
 泰一は、大槌島に顔を向けて高らかに言った。これだけ怖い思いをしてもまだ懲りないのか。失敗しても動じず、またあの島へ向かおうとする泰一。都会の子はとても手に負えない……と、晋作は思った。
「いつ行くん?」
 そり立っている泰一の背中に声を投げた。船の音が邪魔をして聞こえなかったのか、泰一は口を開こうとはしなかった。晋作は、立ち上がって泰一のそばに並んだ。小波立つ広い海原が、ふたりの足下に吸い込まれるように消えていった。
                                   
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 二人は山頂近くの岩場に腰を下ろした。時折、初秋の風が汗のにじんだ顔にそよいだ。前方には瀬戸の海が穏やかに輝いている。その真ん中に、海にすそのを広げている黒ずんだ大槌島が見えた。
「……こうして見ると、さんかく島まで簡単に泳いで行けそうなんやけどな……そやけど、どこから見ても、あんなにきちんとした三角形に見える島なんて世界中探してもないんとちがうやろか」
 泰一はしみじみと大槌島を眺めている。(世界?)晋作は、その島を世界という視点でとらえたことはなかった。島はただ単にどこにでもある島であった。しかし、泰一に世界という言葉を持って感嘆されてみると、なるほどそれは、いかにも大きく立派に見えた。
   

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フジオカエリ
   
  やがて三人は、てっぺんの岩場の上に立った。晴れ渡った空の下に黒っぽい大槌島が望めた。
「島の緑が元にもどるのは十年ほどかかるらしい……」
 修平が誰にともなく言った。
「ふうん、ほんでも、燃える島ってほんまにきれいじゃった。もう一回見てみたいわ、なあ、晋ちゃん」
 明子らしいストレートな感想だった。また見たいのはやまやまだったが、そのためには十年も待って島をもう一度燃やさねばならないのだ。晋作は即答をしかねた。修平はその話題には関係しないとばかりに、凧に顔を近づけて糸の状態を点検している。そして、
「これでよし!」
 と小さく声をかけ、飛行機凧を空中に置くようにして風に乗せた。器用な手つきで糸を操り、凧をコントロールする。
「わあ! すごい、すごい、よう飛ぶ凧じゃなあ」
 明子がぴょんぴょんと跳ねて拍手をした。凧は明子の声援に応えてか、するすると舞い上がっていった。両翼の日の丸が頼もしげに青空に映えている。まじめくさった顔つきで凧を操縦している修平が言った。
「さあ、これからだ……」
 糸がどんどんと繰り出されていく。糸は何本もつなげられているらしく、凧は一気に青空を駆け上がっていった。見上げていると首が痛くなるほど高く上がった凧だった
が、糸の重みによって凧は次第に高度を下げた。山頂の晋作の目線よりもわずかに高い、はるか遠くの空に虫のように小さくなって漂っている。
「さあ、晋作、やってみろ」

     
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 修平はそう言って晋作の前に凧糸を差し出した。晋作は恐る恐るその凧糸を手に取った。糸を通して、指が切れるほどの張力が伝わってきた。何かとてつもない仕事を任されたような緊張感が晋作の体を駆け抜けた。そのとたん、糸は力を失い晋作の指先から垂れ下がっていった。
「あれ?」
 晋作は思わず声をこぼした。……一体、何事が起きたのか。晋作はたまらず修平の顔色をうかがった。
「糸が切れたんだよ、凧と糸の結び目が弱かったんだな。晋作のせいじゃないんだ。……また、何度でも作ればいいんだから……」
 修平はあっさりとそう言って、頬をゆるめた。
「また、何度でも……」
 その何気ない言葉は、なぜか晋作の心を打った。晋作は明子に顔を向けた。明子はえくぼを浮かべて小さく微笑んだ。そして、晋作の坊主頭をそっと撫でた。手袋を通して明子の指の温もりがわずかに伝わってきた。それは、懐かしくも照れくさい、けど嬉しい……、そんな、気持ちの持って行き場に困るほどの柔らかな感触であった。晋作は凧を目で追った。
 糸が切れ起点を失った凧は、白くきらめきながらゆっくりと空に吸い込まれていく。その凧の向こうに広がる海原に、泰一と目指した大槌島が悠然と浮かんでいた。あの島のはるかはるか彼方の地球の裏側に泰一がいる。(……海のアミーゴ)晋作は、心の中でそうつぶやいてみた。凧はまだぽつんと空の一角に在って、それはあたかも、自らの意志で大槌島へ飛んで行くかのように見えた。